今朝無事に東京に到着しました。
父方の実家からの帰省。
じぃちゃんは記憶にあるじぃちゃんとは違い、しっかりはしてるけど、だいぶ年を取ってた。
ばぁちゃんは痴呆症で、博士の愛した数式みたいに、昔の思い出をずっと口ずさんでた。
岩手県の陸前高田市は小さい頃は楽しい場所と思ってたけど、大人になった今は退屈で平凡以下の町並みになってた。
唯一大手のコンビニが進出してきたのが救いだろうか。
でもね、退屈な分ありがたみってのが分かった。
何もかもあるから見えなくなるものが、
何もないから見えた。
純粋に、人は一人で生きていけないという原点。
物理的にも精神的にも一人では生きていけない。
初日はじぃちゃんの50ccのバイクで、昔行った場所を探索した。
高田松原という、三陸海岸に行ったが、海水浴する人はもっての他で、人が居なかった。
海はカモメが支配していた。
その後、じぃちゃんばあちゃんの世話をしているおじさんと近所のスーパーに買い出しに行き、二人で酒盛りをした。
「俺にプロデュースさせろ!歌詞を書いてやる!」と繰り返し言われた。音楽なんてやったことないおじさんが。
でも夢を追って成功出来てない自分に対する余計なお世話であって思いやりでもあった。
二日目は母方の実家に行ったが、こちらはばあちゃんがしっかりしていて、うちのオカンがしっかりしている理由が身に染みた。
お金よりも大切な思いやり。
お釣りなんていらないくらい泣けた。
最終日は父方の実家に戻った。
田舎では敬老の日の前日に敬老会という年寄りの集まりがあるらしく、そこに参加したらしいが、毎年のことなので特別感がないらしかった。
当たり前はいつか特別感を損なう。
する事がなく、夕暮れ時にじぃちゃん家の庭でギターを弾いてたら、17時の時報に「故郷」?が流れて来て、ばあちゃんが隣にいて、ちゃんと歌詞を間違えずに歌ってた。
ボケても歌は忘れない。
時報が終わっても僕がコードを探っていると、ばあちゃんもそれに合わせて歌った。
音楽や思い出はやはり奪えない。
帰りのバス乗り場までおじさんが車で送ってくれる途中、「じぃちゃんは1年ももたない。そのタイマーは止められない」と言って来た。
帰りのバスに乗って僕が見た15夜の月は
確かに丸かった。